■恩師からのメッセージ■

野崎 元彰

同窓生の皆様方におかれましては、ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。s_2212

私は、昭和52年(1977年)に、本学園に赴任いたしました。当時の校名は金山学園高等学校で、木々が豊かな中に木造校舎がまだ残っている環境でした。生徒の中には、県外(兵庫県が主)からの通学生も多く在籍しており、言葉遣いで戸惑うこともありました。

昭和58年(1983年)には、岡山県で最初の食物調理科が増設されました。試食会にも招かれ、素晴らしい料理に舌鼓を打ったこともあります。各種の行事に参加し、その腕前を披露して好評を博していました。

平成6年(1994年)に、校名を岡山学芸館高等学校と変更しました。その後、日本の伝統文化の継承、立派な日本人となるべく日々、様々な教育活動の取り組みを実践しています。近年、その状況を視察のため県内外から多くの方々が来校されています。そして、文武両道を目指す中で、全国大会で優勝する部活動もあり、同時に進学実績も一段と上がって来ています。

また、地域の行事にも積極的に参加し、その内容や行動が高く評価されています。生徒諸君も自信を持って行動出来ています。中でも、平成17年(2005年)第60回国民体育大会(岡山大会)の閉会式のセレモニーへ全校参加(うらじゃ体操)し、一糸乱れない演技には、観客の方々から惜しみない拍手をいただきました。そして、多くの方々に感動も与えました。

同窓生の皆さんの良き伝統を受け継ぎながら、今、在校生は明るく、生き生きとした学園生活を送っています。いつでも、来校してください。大歓迎です。今後も学校の取り組みへのご理解、ご支援を宜しくお願い致します。

最後に、皆さんのますますのご活躍と、ご健康をお祈り致します。


占春寮 舎監  宇垣 和夫       (昭和49年~現在)

ss_5386卒業生の皆さん、お元気でしょうか?

私は、昭和49年4月、現学芸館高校に奉職してから一筋この3月で、40年を迎えました。

振り返れば、その年々の思い出が浮かびあがってきます。男子の学生服、女子の3本線のセーラー服、またグランドの片隅にあった2面のテニスコート、一番上にあった3棟の2階建て木造校舎など、懐かしく思い出します。

その後、岡山県では最初の男子のブレザーの導入。さらに、学校長を中心に積極的に学園改革を進め、現在では文武両道の教育を進めるなかで、テニス・バスケット・柔道・サッカー・野球・吹奏楽など中国大会・全国大会の常連校となっています。

進学の面でも、東大をはじめ難関国公立への合格者を数多く出すまでに至っています。
これも、卒業生の皆さんの歴史の上に成り立っているものであります。今後も、今以上の実績を出すべく取り組みを進めて行くものと思っております。

私は、平成24年1月に60歳を迎え、その年の3月をもって一応定年を迎えました。現在は男子寮(占春寮)の舎監長として野球部・サッカー部の寮生の指導をしています。少しでも部活動のお手伝いが出来ればと思い、日々勤めています。

また、私的なことでは中・高校の同級生数十人と、年間10回程度ゴルフをするなど、昔の仲間と交流を深めながら、楽しくプレーしています。
最後になりましたが卒業生の皆さん、この学芸館高校を卒業したことに自信を持ち、今後も益々ご活躍されますことをお祈り申し上げます。


大野 敦司

卒業生の皆さん、お元気ですか。花美人の里、②の2の1

私は学芸館高等学校に勤務してから現在まで、非常勤講師の時も含めると34年目となりました。この現在までの授業の中で、最も印象深く記憶に残っているのは解剖の実験です。卒業生諸君の旺盛な好奇心にも驚かされました。

以来、授業や雑談を通して自然科学の面白さや不思議を知り、それを理解し、楽しむ事をキーワードに取り組んできました。

もちろん、現在もその路線は変わってはいません。

授業の中でよく話題に出した流星群があります。

現在でも毎年3回の観察を欠かさずに行っています。また、近所の山の山歩き。これも楽しみの一つです。皆さんも、自分のライフワークを楽しんでおられる事と思います。今、私のマイブームは、バイクでのツーリングです。
卒業生の皆さんの今後のご健康とご活躍をお祈り申し上げまして、私の近況報告とさせて頂きます。